久遠成寺 日親上人 浄光寺 東条法難・・・
文安元年(1444年)11月のことだそうです。東条谷は吉田庄(旧東条村)の小さな庵室で法華経の功徳を説いていた日親さんに、数十人の暴徒が襲い掛かりました。この一団は、佐用郡に住む浄土宗の智海という坊さんを先達とする念仏信者達だったといいます。
かって法論をたたかわせこっぴどく論破された恨みを、暴力をもってはらそうとしたのでした。かれらは手に手に刀や杖をにぎり、松明をふりかざして押し寄せました。
この時に庵室には日誉というでしと浄光たち信者数人いるだけでした。なんとか防ぎともようとした浄光たちは、たちまち殺されてしまいました。そしてまさに暴徒たちが日親さんに打ちかかろうとしたその時、身の丈五尺たらずの男があらわれ、日親さんを背負ってむらがる法敵をつきのけ、押しのけ兵庫の港までかけぬけて船にのせ、ふっと消えてしまいました。不思議の命を助かった日親さんが、あとで考えてみますとこの小男は法華経の四の巻の仏が顕現したものだったといいます。